昭和45年11月20日 朝の御理解



 御神誡 一、「信心する人の真の信心なきこと。」

 真の信心を頂きたい。真の信心を願わせて頂く。どうぞ真の信心にならせて下さいと願う。ほんとに真の信心と、これはほんとに金光教的とでも申しましょうかね、表現が。素晴らしい表現だと思うですね。「真の信心」金光様の信心を頂いて居るから、みんな真の信心をして居ると云うのではありません。金光教の中にあって、真の信心にならして下さい、真の信心を頂きたいと云う願い。
 そしてその願いに一歩一歩近づいていくと云うことが、真の信心を求めて居ると云うことになる。金光様の御信心を頂いて居るから、みんな真の信心を頂いたと云うのではないのです。「真の信心」まあ結論を先に申しますとね、真の信心とは、三代金光様ですね、安心のおかげを受けることでありますとこう仰る。ですから云うならば、その安心のおかげを目指し、成程この調子で行くならば。
 安心のお導きが頂けるぞと云う様な、私は信心過程と云うか、そう言う所を辿らせて頂いて居ると云う事が、真の道に志して頂いて居る者の、まぁ生き方だとこう思いますね。「真の信心」千足に、古賀と云う大変有名な信者さんが居られました。吉井教会のご信者さんですね。一遍まぁ椛目時代に、椛目早々の頃にお参りになって、是非お話に来てくれと言われ私は一晩泊まりであの時分、椛目から十人ぐらい参りましたでしょう。当然あちらの信者さん方と、いわば信心の交流をさせて頂いた事があります。
 朝あちらで朝のお食事を、朝のお茶を頂かせて頂きよる。それにあちらのお婆さんになる人が、御神前から恭しく持って見えた白扇ですね扇子。「これは先生私の方の古賀の家の宝でございます」と言うて、私に拝んで呉れとこう言われる。私もそれを頂かせて貰いました。三代金光様にお願いをして、お書き下げを頂かせて貰いました。成程もう金光様のお書き下げですから、その家の宝に違い有りませんですね。
 開かせて頂きましたらね、白扇のまん中に小さい字で「真の信心」と書いてあった。もう実にあの真核で書いた様に小さい字である。白扇のまん中に、ほんとに「真の信心」と書いてある。しかしね、その真の信心、いわゆる真とか真の信心とかと云うのは、あまりにも金光教では使い古されておると云うといけませんけれども、使う言葉なんですよね。真の信心、真の信心。
 おかげを頂きたいと言うてお願いすると、真の信心さえすりゃおかげ頂くと云う風にも、地下(じげ)にして言われる。と云う程しに真の信心と云う事が言われる。が真の信心が出来ません。恐らくは私共が一生、この真の信心に取り組ませて頂いて行く事でありましょうがね。その白扇に書かれておる真の信心と云う、それを開いて、拝ませて頂いて居りましたら、三代金光様のお声でね、頂いたんです。
 真の信心とは、どういう事だろうかと思うてね、思うたら。間髪を入れずに頂いたのがね、「安心のおかげを受けることであります」とお言葉で。安心のおかげを受けることであります。ですから、金光様の御信心を頂いておって、まぁ段々おかげを頂いて、一家中が例えば信心の稽古をさせて頂いて、云うなら、親も子も孫も信心させて頂くようになるから、もう安心だと云うておる意味合の安心ではないですね。
 どの様な時、又、どの様な場合でも、いわば安心して居られると云う事なのですから。いわゆる大安心と申しますか、だからその大安心を目指させて頂いての信心を、お互い志させて頂いて居るかどうか。善導寺に面白いご信者さんがありましたが、私共が、こうやってお参りしよると、その近所の誰々さんが丸金に参りよるじゃろと言うちから、丸金に参りよるち言うわけですね。
 丸金醤油と云うのが昔、今も有りますかねぇ。四国の金比羅さんもやっぱりありゃ丸金ですよね。丸に金の字。ところがその同じ丸金でも、金光様の御信心はそれに八つ波が付いてます。まあ云うなら、丸金醤油はまあ醤油ですかね、食べ物ですから。食べることの為の神様。まあ金比羅さんの丸金は、金比羅さん、いわば御利益を頂くことの為のまぁ信心。いわゆる金光様の、丸金はどういう事かと云うとね、いよいよ云うなら、世界真の平和が祈れる。いよいよ世界の総氏子、身の上安全が願われる。
 云うならば天地金乃神様の願いをその侭に、私共の願いとさせて頂くと云うのが、いわゆる、金光様の丸金です。八つ波がついとる。そういう意味だと思う。天地金乃神様の願いをね、願いとしての信心まあ云うならば、天地金乃神様の願いを受けての、それに受けて立たせて頂く信心。どうでしょうか。自分中心とか、自分の事ばかりを願って居ると云う様な信心なら、如何に金光様の御信心を頂いて居るからと云うてもです、それは真の信心じゃないと云うことになりますね。
いよいよ教えの深淵さ、教えの深さ広さを分からせて貰う。神様の心を分からせて貰う。そして神様の心に従わせて頂く。その神様の心を受けて、その神様の願いとされる願いを、私共の願いとしていくと云う信心。それがお道の信心の、いわば丸金なんです。同じ丸金でもね八つ波だけが違う。私は真の信心と云うのはそういう風に、言うなら天地の親神様のお心をお心と悟らせて貰い、お心としてそれを願っていく信心。
 天地の親神様が世界真の平和を願って居られる。世界総氏子の助かりを願うて居られる。人間氏子の助かりを願って居られる。そのおかげをです、受けて立たせて貰う。それを又受けた者の姿が大安心、信心に依って大安心のおかげを受けた人の姿であります。金光様はもうそういう、そのぎりぎりの答を私には教えて下さって有るとこう思います。「真の信心とは安心のおかげを受ける事であります。」と云うことになる。
 昨日は一日お広前が賑わいましたが、中でも丁度お昼ちょっと前ぐらいに、佐賀県の唐津の教会が親教会、そこのご長男が布教に出られて、もう二十五年になられる。終戦満州の方へ行って居られましてね。中々なんというですかね、豪気な先生です。が信者さん方二十名来ておられて、マイクロバスでお参りになりました。ここと高宮教会とに、参拝させて頂きたいと言うて来られたけれども、もうここで拝ませて貰い。
 ここでお話を頂かせて貰うたから、もうかえって迷いが起こっちゃならんから、このまま帰ります。五時にはあちらの方に着かなきゃならんからと云うて、一路唐津の方へ帰られました。浜崎と云う所です浜崎教会。先生が四回も代わられた。四人も代わられただから、初めから唐津の教会の出社だったんでしょうね、誰も行き手がない。そこへ自分がやらせて頂いて、現在では段々おかげを頂いて居るとこう云う事である。
 なかなか非常に修行が激しく、激しい修行をなさる先生ですねぇ。この頃小倉の教会の記念祭がございました。二日目におかげを受けられた。大幣の御用を頂いた。祓主ですね。それがその二十日の日です。それから博多まで出てから、博多の駅に居られたげならね、今日はね「お祭事に御無礼が出来る」と云う、そのお知らせを頂いた。どういう事じゃろうかと、自分なその祓い主のおかげを頂かなきゃならん。
 これは自分の事に御無礼が出来るのじゃろうかと、その事をお願いしたり、不安な思いであちらに着かれて、愈々お祭りが始まった。金光様の二番目の方が本部から見えておられました。それこそもう九州中の所謂偉い先生方ばかりでお祭りを仕えられると云うお祭りなんです。それに自分は祭事の祓主のおかげを頂いて居られる。そしてねお祭りが始まってから、その神撰物を祓い、祭主である所の桂先生を祓わせて頂いた途端にですね、その大幣のあの大きな幣のあれが全部飛んで仕舞うた。
 それはもう本当にもうびっくりされたでしょうねぇ。はあ今日の御無礼とはこの事じゃったかと。ばってんもうどうこう仕様が無い。だからね今度は棒でずっと祓うてさるいたと。すっ飛んで仕舞うたから。まあほんとにもう大変な事でしたと言うてですね、それで桂先生が、御挨拶になって終わった時に私も一口、先生言わせて下さいと言うて、まぁそれがそういう事が出来た事を皆さんにお詫びしたとこう言うて居られましたが。
 そういう一つの霊徳的な面も非常にこう厳しい、やっぱ修行していかれ、受けて行かれよる先生のようですその方がね、こういう事を言われるんですよ。「先生私共が今日こうやって御参拝のおかげを頂く事をもう知っとりなさったでしょう」ち、こう言う訳ですよ。こちらの先生は中々御神徳で、まぁ言わばその名高い事を聞いておりますとこう言われる。昔の先生方はああ云う事が、非常にお伝記なんかにありますね。
 桂先生のお伝記なんかには、今日は何処の誰それが来るぞと、神様からお知らせを頂かれると、ちゃんともうお膳部の用意が出来とる。桂先生の話の中にもありますね。全国をまあ御比礼の立つ教会を巡拝された事があった。或教会で非常に霊徳の優れた先生の所に行かれた。云うならば自分の神徳くらべの様な気持ちで、回られた訳ですね。所がその今日小倉の桂が来ると云うて神様、お知らせを頂きなさったそこの先生が。
 それで先生はお酒が好きだからと言うて、燗々とお燗つけて待っちゃったち。それこそびっくりされたち。成程その優れた先生である。人力で帰られる時表まで送って来られた。「桂先生、道中御注意なさいませ」ち言わっしゃったげな。そしたげなら人力引きが殺してから、自分な人力をを外に転げたと言うような話が残っております。はぁあちらの先生はご神徳が高いと云うて、みんなが言ったんですけれどね。
 私はねそういう様な事が真の信心とでも思うたら大間違いだと思うですね。神様からお知らせを頂いた様な事柄がね、真の信心と云った様な私は事じゃない。昨日も私にそれを言われた。私共がこうしてお参りさせて頂く事を神様からお知らせ頂いちゃったでしょうとこう言う訳です。いやどう致しましてと言うて、まぁ笑いに紛れさせて頂いたんですけれどもね。でなかったらあんまりその隅々までお掃除が出来とる、麗に。
 そしてもう打てば響くように、そのちゃっとこうそのお茶を出したり、お茶菓子を出したりがもう、丁度昨日なんかは、二十名の方達に出させて頂けるにふさわしいお菓子が、ちゃあんとそのやっぱ用意しちゃった。そりゃ神様が用意してござった。私が用意したっちゃない。そしてここでほんならお昼食をしようち言うて、お弁当持って来ておられてから、ほんならおつゆなっとん作らせましょうと言うてから。
 そしたら公子さんが直ぐ、こうして親先生と二人で奉仕して呉れましたが。私はほんとに思いました。その前の日に繁雄さんに、あの青年大会があってから、もう共励殿はもうひちゃがちゃだったんですよ。まだ軸も掛かってなければ置物はあっち持って行きこっち持って行きしてあって、きちっとしてなかったんです。私はその前の日に繁雄さんに軸を掛けとって下さい、置物はきちんと元のごとしておって下さいと言うて、まぁ何時お客さんが見えてもよかごとしてあったです。
 ほんなら私が別に、お知らせを頂いたからじゃあない。けれども私の裏には、何時も天地金乃神様が働いてござると云う事ですよ。云うなら何時も天地金乃神様が、いわば合楽のバックであると云う事ですよ。私は真の信心の、私はそのポイントになる、一つのキーとでも申しましょうかね。それは云うなら、私は真の信心をして居る、と云う人の背後にですね、天地金乃神様の働きが、まぁ十全とは言われなくてもね、それが為されて居る、出来て居って、初めて私は、真の信心を頂いておると云う事が、言えるのじゃないかとこう思いますね。
 ここでは、何かお話をしてくれと言われましたから、まあここで成行きを大事にすると云うこと。椛目からこちらのこのいわば難行苦行時代を知って居られる訳です、先生が。随分、苦労されましたねと。ところが実際は一つも苦労ではなかった、もう有難いばっかりだったと云うところから、まぁお話をさせて頂いたのですけれども。御神意を思うたら、有難いことばっかりだったんですよと。
 と云うて、小倉の話も出たから、小倉に参拝を致しませんようになりまして、十三日会が出来た由来とか。または最近は幹三郎の、いわば肉腫が一夜にして、云うなら病名も付かない程ですけれども、そういう悪質ではない病気に変えてしもうて頂いた話やらを致しました。皆さんがもう大変びっくりして居られました。と云う様に口を開けば、ここでは申しますように、成行きを本気で大事にさせて頂くと云う事は、その侭それは真の信心だと私は申しております。
 如何に神様を大事にすると云うても、神様の働きそのものを大事にしなかったら、もうそれは真の信心じゃないとさえ極言致します。からと云うて、成行きを大事にさせて頂きよるから、真の信心とだけとは言えない訳なんです。私共は様々な真の信心を目指させて貰うて、おかげを頂かせて貰う。その事の一番稽古の手始めが、まぁ云うならば成行きを大事にさせて頂くと言う様な所から入らせて頂いて。
 神様のほんとの心が分からせて貰うて、神様の心を心として、神様が願うてござる事が、私共の願いになる様な信心。そこには云うならば、金比羅様の丸金でもなからなければ、丸金醤油の丸金でも無い訳です。ですからもう、実を云うたら真の信心と云うのはきりがない、限りがない。そういう信心過程を辿らせて頂くところからです。この様にも間違いのない働きが受けられると云う体験が生まれて来る。
 云うなら一分一厘の間違いのない働きと云うこと。今度の幹三郎の入院に当たって、入院致しました翌日でしたかね。いや入院する前の日でしたですね。小野先生が、あちらへお見舞いに行って下さって、入院じゃなかった手術の前の日でしたね。入院して手術をすると云う前の日に、十三日の日でした、本当。後から気骨のある人が残って、お話をしておる時に、丁度、医大の方へお見舞いに行って帰りだと言うて帰って参りまして、自分が病院で聞いてきたばっかりの話を私にされ。
 そして又皆さんにもそれをなさいました。だからその恐らく、その時の話の要所要所は高橋さんがメモして居られましたから、先生の言うた事を全部書いて居られるに違いないですが。もうとにかく九分九厘、命は助からないち言う。もし是が助かったら、九大中で、大奇跡だと先生方が言うて居られると。そして何故助からんかと云う事を、色々と医者の立場で聞いて来た事、自分が思う事を話されました。
 私はその時の事を一番初めに、私に話されたんですけれども。もうね嬉しいち言うと、そのちいった語弊があるかも知れんけども、心から湧いて来るものはほんとに嬉しいと云うような心でしたよ。いやそれは、はっきり申し上げられませんけれどもですね。それこそギクッとのギの字もしませんでした、私はそれを聞いた時に。もうここから所謂医者が完全に見放してしもうた。
 そこから、私の信心は、私の信心はそこからだと云うなら思うとりましたから。いよいよ私の出る幕だと云う様な感じだったですね。だからそん時にほんならここに、秋永先生やら正義さんやら高橋さんやら、十名あまり残って居りました人達が、その時の模様を見ておって下さったら、それを感じ取って下さっただろうと思うくらいでした。もうこの事に限ってだけは、だから私は大安心のおかげを頂いておったと思うですね。
 だからそれが、ほんならどうしてその様に、おかげを受けた居ったかと云うと、今も申します様に、段々成行きを大事にさせて頂くとか、何時もそれこそ神様からお知らせを頂いて居るかの様にです。例えば今日の佐田さんの弟さんからですか、電話が掛かってきた。アメリカに行って居られる時の外人の方が見えられるからと云う話じゃった。でここを一辺お参りさせて頂き、見学させて頂きたいと云う風であったから。
 明日の何時頃に来たらよかじゃろうかと云う様な電話が掛かってきた。だから私は何時でもよかち私は申しました。御都合の良か時おい出下さい。何時から何時までが良いと、私は神様が必ずおかげ下さると信じて居るからです。ようにですね、その日頃が一分一厘間違いの無い働きの中に、特に幹三郎の場合なんかも、そういう一分一厘間違いの無い働きの中にこうなり、ああなって来て居ると云うことをです。
 私は信じて居りますから、私は結局その時に驚かんで済むおかげを受けたんだとこう、云うなら死刑の宣告を受けたと云う様な事を聞いても、驚かんで済んだんだと自分で思うとります。だから神様の、例えばお知らせを頂いて、今日は何処何処の先生が、信者を連れて参って来るぞと。だから部屋を掃除しとけと云った様なものでなくて、もう前の日から、ちゃんとお掃除がが出来て居ると云う事ですよ。
 そういう私は、おかげが、私は本当言うたら真の信心頂いておかなければ、何時も天地が、その様な働きをして下さらないと思う。そこで、自分の上にも、自分の一家の上にも、その様ないわばおかげが頂けて居るとするならばです。自分は真の信心を辿らせて頂いて居るんだと云うことになるのです。「信心する人の真の信心無き事」ですから、沢山の金光様の信者は居ろうけれども。
 真の信心を目指して居ると云う云うなら、真の信心を身につけて行きよる人は少ないのじゃないかとこう思う。ほんなら合楽の信心が、真の信心かと云うと、決してそうでもない。けれども私共が目指して居る所は、やはり真の信心であると云う事。そこで信奉者の皆さんの一人一人も矢張り目指す所はそこでなからなければいけないと云う事。天地の親神様の。いわば御思いと云うものを分からせて貰うて御思いに添うと云う事。
 御思いに添うと云う事は、神様の願いを願いとして自分の願いになって来ると云う様な信心を、私は先ず真の信心だと、稽古すると云うことに於て、また真の信心を自分の身の上に受けると云うことは限りが無いこと。御神誡の最後に「信心する人の真の信心無きこと」と、いわば戒めとって下さいます。ですから、果して自分は真の信心を目指して居るだろうか、又、真の信心の入り口にでも立って居るだろうか、真の信心
  (途中切れ)